『Ti amo』 #4


我ながら、なんて残酷な質問だろう。

これでアルは、クリスのことを愛していると答える。
それは、姉さんが私の想いを踏みにじる答えにほかならない。

でも、そんなことは知らない。
ただ一度だけ、はっきりと言ってくれればいい。

『クリスは誰にも渡さない』
『クリスは私だけのものだ』

って。

そうすれば、私の中のこの思いは消えてくれる。
どうすることもできないこの感情を…振り払うことができると。そんなふうに思っていた。

――それなのに。

「駄目…だよ」
「…え?」
「それじゃあ駄目だよ…トルタ」

凍える様な声、悲しそうな顔をしながら。
それでも、アルは私をまっすぐに見つめて。

「その言葉は…ちゃんとクリスに伝えないと……いけないと思う」

――そんな言葉を口にした。


「…………どういうこと?」

…驚いた。
まさか、アルにそんなことを言われるなんて、考えてなかった。

「…そんなことをして、何になるって言うの?」

怒りが込み上げてくるのが分かる。
だって、いくらなんでも…それはあんまりだ。

「そんなこと…言えるわけないじゃない!!」

私はアルを怒鳴りつけた。
元々仲のよい姉妹だった上、おとなしい性格のアルだ。私がこんな風にアルを怒鳴ったのは、生まれて初めてかもしれない。

「クリスの気持ちが、今更変わるわけがないなんてこと…アルが一番分かってるでしょう!?」

けれど、この気持ちだけは収まりがつかなかった。

「酷いよ…姉さん。そんなの…そんなこと…ッ!!」

理性のブレーキが利かなくなった私に、アルは怯えるように身を固め、無言でそれを受け止めていた。

一通り思いを吐き出すと、私はアルを睨みつけた。

「…トルタ、お願い…クリスの所に行こう?」
それでもアルは、言葉を変えようとしなかった。

「……っ!」
もう一度怒鳴りつけようとして、

私はそれを躊躇った。

「…………どうして…っ」
姉さんの瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。

「どうして、姉さん…?」

どうしてアルが泣いているのか、
その理由が、私には分からなかった。

胸に両手を押さえつけ、搾り出すように言葉を続けるアル。

「……だって」
「だって…それはトルタの…」

「トルタの、大切な気持ちだから…」

「………!」

「大切な気持ちだから…伝えたい人に…伝えないといけないと思うから…」
「トルタが…苦しい思いをするのは…もう、嫌だから…だから……!」

とめどなく涙を流し、必死で嗚咽を抑えながら、
アルは、まるで小さい子供のように泣いていた。

その涙を見て、私は一気に怒りから覚めていた。

「………姉さん」

(……なんて、ことだろう)
(姉さんは、本当に私のことだけを思って、その言葉を紡いでいる)
(…本当に、私のためだけに…涙を流しているんだ)

こういう時の姉さんは、本当に手がつけられない。

馬鹿みたいに強情で…それでいて馬鹿みたいに純粋に。
まるで自分の悲しみかのように、誰かの悲しみのために涙を流す。

―――でも、それこそが…姉さんと私との違い。

その愚かさこそが、クリスの愛したアルであり、
…私の親愛する姉さんの姿でもあった。

「……」

それでも。

本当に私のためだけを思って言った、その言葉が、
結果として私を苦しめているってことに、姉さんは気付いてない。
それとも、それすら分かっていて、
そのために涙を流しているのだろうか。

 

『…アルは、何も知らないのよ』
『何も知らないから、そんな風に思えるのよ…』

そんな姉さんをなだめるように、
諭すように…私はゆっくりと話しかける。
半分は。

そして残りの半分は、
自分自身に言い聞かせるように。

「私はね…ずっと騙してきたんだよ、アルや、クリスを」
「私はアルの振りをして、三年間ずっとクリスに手紙を書いてた」

眠っていたアルは、何も知らない。
三年間の私のことや、クリスのことだって。
アルのいなかった三年間に、
私が何を考え、そして何をしていたのか。

「クリスが記憶を無くしてしまったことをいいことに、アルの事故のことを、ずっとクリスに隠してた」
「もし自分が逆の立場だったら…クリスに忘れられるなんてこと。考えただけでも、怖くて、どうしようもなくなるってことも分かってて」

だからこれは、自分自身の罪への戒めであり。
…何も知らない姉さんへのあてつけでもあった。

「アルに成りすまして、クリスとデートをしたこともあるんだよ?」
「…私がどうしてそんなことをしたのか、分かる?」

 

――クリスのため?姉さんのため?
――そんなのは嘘だ。

クリスに真実を教えなかったのも。
姉さんに成りすまして、手紙を書いていたのも。
料理の練習までして、姉さんの振りをしていたのも。

――全部、自分のため。

あの時、もしクリスが事故の記憶を失わなかったら、
もし、クリスにアルの真実を教えていたのなら。
クリスはきっと、自分の将来を犠牲にしてでも、
アルの元に残ることを選んだと思う。
そして私はその3年間、クリスの側にいることはできなかったのだ。

『クリスの未来のためだから』
『アルもきっとそれを望んでいるから』

そんなふうに決めつけて、そんなふうに思い込んで。
クリスに嘘をつくことで、私はクリスを私の側に置いたのだ。

それから3年間、ずっとクリスを騙し続けていたのは、
クリスに事故の記憶を思い出させたくなかったから。
クリスがアルの元に帰ってしまうのを、私が恐れ続けていたから。

もしも、クリスがアルのことを思い出さなかったら。
もしも、クリスが私を卒業演奏のパートナーとして選んでくれたのなら。

クリスの側に居続けた私に、
クリスは振り向いてくれたかもしれない。
クリスは私を、好きになってくれたのかもしれない。

そんな愚かな想像を、一度でもしたことがなかったと
私は言い切ることができるだろうか?

言えるはずがない。

そうだ、私はただ、クリスを手に入れるだけのために
姉さんの幻を利用していたんだ。

私の演じていた《アリエッタ》(姉さん)よりも、
《トルティニタ》(私)を選んでくれることを
心の中で、期待しながら。

それが私の、偽りじゃない『本当』の思い。

 

「クリスにどこまで聴いてるのか分からないけど…手紙のことや、ナターレのことは知っていると思うの」
「たぶんアルは…こう思っているんでしょう?」

『トルタが今までしてきたことは、クリスや私を思っての行為だった』

『トルタは三年間ずっとクリスや私のために、辛い思いをしてきたんだ。って』

 

「でもね…それは違うの、アル」

この先を言ってしまえば、私は全てを失ってしまうかもしれない。
それでも私は、その言葉を止めることはできなかった。

「私は…私のために、アルの代わりを演じていたのよ」
「嘘を吐くことも、手紙も…変装も…何もかも、全部!」

「全部…!私が…私が……クリスを、姉さんから奪おうとして…してきたことなの!!」


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