『Ti amo』 #7


乾いていた心の中に、自分自身の言葉が響いてゆく。

ふと、姉さんの顔を見ると、
姉さんは、私の言葉を噛み締める様に目を瞑り、

「…ありがとう…トルタ」

少しだけ微笑みながら、そう言った。

『ごめんなさい』

それは、何度も聞いた言葉。
それは、何に対しての言葉だったのだろうか。

悲しいと思ったことがあった。
辛いと感じることがあった。

私は今まで、何を悲しいと感じて、
そして何のために涙を流してきたのだろう?

 『クリスのことが好き』

全ての理由はそこにあって。
でも、そこには理由なんていらないはずだった。

誰かを想うことは、悲しみであるはずは無いのに。
その「感情」に押し潰されそうになって。
それでも、それを捨てることはできなかったんだ…

それ以上、姉さんは何も話そうとはしなかった。
…その後のことは、何も聞かなくたって、私にはもう理解できる。

――アルにはクリスが必要で。
――クリスには、アルしかいなかった。

それが答え。

 

「そう…そうなんだ」

いつの間にか、私たちを照らしていた月を見上げて、
私はそう呟いた。
さっきまであんなに昂ぶっていた感情も、
今はもう、どこかに消えてしまっていた。

(それで…いいんだよね?姉さん。)

この街の、夏の始まりも近い七月。
夜に吹く風は、まだ、少し冷たかったけれど。
私の胸は、どうしようもなく温かいものに満ち溢れていた。

「ねえアル。一つだけ聞きたいんだけど…いいかな?」
小さく頷く姉さん。

「アルが、クリスを好きになったのって、いつ頃?」
それは姉さんに対する、私の最後の問いかけだった。

私が知らなかった、姉さんの秘密。
どうしてもそれだけは、知っておきたかったから。

「…それは」
少しだけ口篭ってから、姉さんはゆっくりと話し出した。

「はっきりとは覚えてないわ…まだ小さい時だったから、ほとんど、子供の時の漠然とした気持ちだったから…でも」
「…昔ね、私がこの川でおぼれたことがあったでしょう?」

「私、トルタみたいに上手く泳げなかったから、いつも二人を離れて見ているだけだったんだけど」
「二人に近づこうとして、つい川に足を滑らせてしまったことがあったの」
「底に足がつくことも分からないで…必死で助けを呼んだっけ」

目を瞑ると、遠い記憶の中に埋もれていたその風景が、ゆっくりと映し出される。

思い出した。

そう、あの時。
姉さんが川に落ちて、私はすぐに気付いて助けに行こうとしたんだ。
でも、そんな私よりも早く、姉さんの下へ駆け寄ったのは…

「……その時に私の手を掴んでくれたのが…クリスだったんだ」
「…そうなんだ」

 (なんだ、それじゃあ…)

 (それじゃあ、私と…)

その光景を思い浮かべて、私は少し嬉しくなった。

クリスがアルを好きになる、ずっと前から、
私はクリスのことが好きだった。

そしてアルも、クリスがアルを好きになる、
ずっと前から、クリスのことが好きだったんだ。

「私たち…似たもの同士だね?」

私は姉さんに話しかけた。
すると、姉さんは…

「…そうだね」

そう言って、微笑んでくれた。


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