耳をつんざく轟音。
土砂降りの雨よりも大きな水の音に包まれ、世界の輪郭がぼやけていく。
少しずつ濡れていく体。
でも、冷たいはずなのに、不思議と不快感はなかった。
目を閉じれば、ピオーヴァで過ごした日々がまだ瞼の裏に残っている。
あの街で抱えたものは、今も私の中で消えていない。
――それでも私は、その思いを抱いて、歩いていく。
『トルタ、急いで帰ってきて欲しい。』
そんなクリスからの手紙を受け取って、私は故郷への帰路についた。
姉さんのことは…正直、諦めていた。
すべてを思い出したクリスが、姉さんの元に帰る時まで、命が持ってくれていたのなら、
私の罪は…少しでも軽くなるのだろうか?
汽車の中でぼんやりとそんなことを考えていたのを、今でも覚えてる。
そんな私を待っていたのは、想像すらしていなかった出来事。
ずっと昔に、諦めてしまっていたはずの、
姉さんの、懐かしい優しい声だった。
『…おかえりなさい、トルタ』
その言葉を聞いて、私は声を上げて泣いた。
姉さんが目覚めた。
かつて何度も声をかけて、手を擦って、
神様に祈り続けても、目覚めなかったアルが。
今、目の前で私の名前を呼んでくれている。
それだけで私は…三年間背負ってきたすべてのものから解放されたような、
そんな思いを、その時は確かに抱けていた。
姉さんの身体は三年間の昏睡で衰弱しきっていた。
最初の内はほとんど体を動かすことができず、声を出すことすら辛そうだった。
クリスは病室に泊まり込んで看病を行うことを決め、
私も、姉さんのために故郷にとどまり、日々の世話をすることを願い出た。
関節を動かす訓練、座った姿勢を維持する訓練。
手すりを掴み、短い間立つことができるようになるまで、1ヶ月以上掛かった。
それでも、姉さんは弱音一つ吐かず懸命にリハビリに取り組み、その側にはいつもクリスがいて、献身的に支えていた。
リハビリが進むに連れ、その身体は少しずつ動きを取り戻し、声にも力が戻ってきていた。
けれど…
「…ごめんなさい、トルタ」
二人でいる時、たまに姉さんはそんなふうに呟いた。
なぜ姉さんが謝るのか、理由はすぐに思い当たった。
姉さんは、多分…私の嘘を知っていた。
ピオーヴァにいた三年間、私はアルの名を騙ってクリスと手紙を交わした。
ナターレの夜には、姉さんの服を着て彼とデートをしたこともある。
クリスのためにと信じ込みながら、同時にその時間は、私にとって彼との繋がりを感じられる、大切な時間でもあった。
それがどれほど許されないことかは、痛いほど分かっていたのに。それでも私は、その矛盾を抱えたまま、三年間を過ごしてしまった。
姉さんは知らない、そして知らなくていい。
あの街に残してきた、私の想いも、私の罪も。
姉さんはクリスの支えの元で懸命にリハビリを続け、
夏の終わり頃には一人で歩けるまで回復し、退院の日も決まった。
そんなある日の午後。
「……それなら、三人でピクニックに行きたい」
「パンを焼いて、クリスとトルタに食べさせてあげたい」
退院後に何をしたいかと聞いたクリスに対し、姉さんは遠慮がちにそう答えた。
柔らかく微笑む姉さん。クリスも姉さんの提案を笑顔で受け入れた。
そんな二人の姿を見て、胸の奥を鋭い痛みが貫いた。
私は、この輪に加わるべきじゃないんじゃないか。
そんな考えが一瞬、頭をよぎる。
――でも、その”言葉”はギリギリで私の口から出ることはなかった。
「うん…そうね、いい考えだと思う!」
「でも張り切りすぎて、たくさん焼きすぎないでよ?三人じゃ食べきれなくなっちゃうから」
幸せそうな姿を見て胸の奥が苦しかったけれど、
二人に余計な心配をかけさせたくなかったし、
何より、私のせいで今の幸せを壊してしまうことが、怖かった。
だから私は冗談を口にして、明るく振る舞った。
その笑顔が少しぎこちなかったとしても、二人は優しく受け止めてくれた。