結婚式を前日に控えた夜。
家族の食卓には温かな灯りがともり、ささやかなご馳走と祝いの葡萄酒が並んでいた。笑い声が絶えず響き、その香りが部屋いっぱいに満ちていた。
食後、姉さんと私は自室に戻り、夜更けの静けさの中で、今までのことを話していた。小さなランプの明かりが机を照らし、夜風がカーテンを揺らす。
私たちとクリスとの出会い、隣の家に生まれた幼馴染と一緒に育った、たくさんの出来事。
音楽教室に通い始めた頃の話。
姉さんが一緒には通わなくなった時のこと。
三人で遊びに行った、川辺での出来事。
姉さんが働いているパン屋の話。
個人レッスンの教師をしている私の話。
私が知らなかった、クリスのこと。
姉さんが知らなかった、クリスのこと。
――けれどその中に、ピオーヴァの話はなかった。
私も、姉さんも、意図的にその話を避けていた。眠っていた姉さんはともかく、私がその話をしないのはあまりにも不自然で、自分でも笑ってしまうほどだ。
私の心は未だにあの三年間に囚われているのだと思い知った。姉さんもあえてその話に触れず、昔の楽しい思い出やこれからの未来のことばかりを話していた。
明日、結婚式を終えたら、アルはクリスの実家で暮らすことになった。
家を買うお金はすぐには貯まらない。両親たちは援助すると言っていたけれど、二人はまず自分たちである程度の貯金を作ってからにしようと決めたらしい。
もともと家族ぐるみの付き合いだったこともあり、私の両親もクリスの両親も、二人の同居を自然に、そして喜んで受け入れていた。
「トルタ…あのね…」
いくつかの思い出話を語り終え、短い静寂が訪れる。
姉さんはしばらく何かを考え込むように目を伏せ、やがて口を開いた。
「トルタ、無理…してない?」
「…え?」
「だって、わかるの。トルタ、ずっと何かに悩んでる…」
「…私たちに気を使って、いつも明るく接してくれるけど…でも、私は…」
姉さんは右手で自分の左腕を掴み、顔を伏せたまま言葉を続ける。
「…ごめんなさい」
そして、またあの時と同じように、謝罪の言葉を口にした。
「アル…」
その姿を見て、私は今度こそ、自分の想いと罪に。
向き合わなければならない時が来たのだと悟った。
姉さんはずっと知っていた。
知っていて、それをどうにもできないことを、自分自身の罪だとすら、思っていたんだ。
認めたくはなかった。でも、認めるしかない。
姉さんが昏睡から目覚めて。
二人の絆が揺るぎないものだと思い知らされて。
アルとクリスが結婚する、今になっても。
その笑顔が向けられる相手が、自分ではなかったとしても。
彼の横顔が。
何気ない言葉や仕草が。
フォルテールを弾く姿が。
クリスのすべてが大好きだった。
――私はまだクリスに、恋をしていた。
でもそれは、言葉にしてはいけないこと。
言ってはいけないこと。
そして私がそれを言葉にする機会は、多分もう二度と訪れないだろう。
今は、幸せなはずの姉さんに思い詰めた顔をさせている自分が、罪悪感を抱かせてしまっている自分が…うらめしかった。
「謝らないでよ…。だってアルはなにも悪くないんだから」
これは私自身の問題だ。姉さんが背負うものなんかじゃ、決してない。
だというのに、姉さんは首を横に振って続けた。
「ううん…」
「私…私ね……トルタに…言っていないことがあるの…」
詰まった言葉を無理やり吐き出すように、小さく呟いた。
「……………」
その言葉の続きを待ったけれど、姉さんは言葉を飲み込み、口を開きかけては閉じ、視線を揺らした。ランプの明かりが姉さんの睫毛に影を作り、その震えが私には痛々しく見えた。
私は、誰よりも姉さんのことを知っていると思う。
双子の姉妹として、幼い頃から一緒だったのだから。
でも…たとえ姉妹であっても、秘密や隠しごとの一つや二つはあるものだ。
今、アルが話そうとしていることは、とても大切なことであると同時に…少なくとも、話しづらいことだというのも、理解できた。
「アル…話しにくいことなら、話さなくてもいいわよ」
「何を話そうとしているのかは、分からないけど」
「双子だからって、何でも全部話さなきゃいけないなんてこと、ないでしょ?」
「…全部話すことが、いつもいいことだとは限らないのよ」
「トルタ…」
「…実は私もね、アルやクリスに…言ってないことがあるの」
「言っちゃったら…多分、自分で自分を許せなくなるようなこと」
「だから言わない。そう、決めたの」
私は姉さんをなだめるように、そして…自分自身に言い聞かせるように、そう言い切った。
「さて!明日はアルの大事な結婚式なんだから、今日はそろそろ寝ましょ!」
「クリスの前であくびなんてしてたら、みんなに笑われちゃうよ?」
笑顔で、そう語りかける。
姉さんは瞳に僅かな涙をたたえながら
「ありがとう…トルタ。本当に…」
そう言って、また笑顔になってくれた。
姉さんが自分の部屋に戻るのを見届けた後、私は机の上の食器を片付けながら、胸の奥で押し殺してきた思いに耳を澄ませていた。
アルの幸せを心から願っているのに、その隣で笑うクリスの姿を見るたびに、胸の奥が痛んでしまう。
それでも、二人を祝福する気持ちは本物だ。
だからこそ、この想いを抱えたまま、そばに居続けることは――もう許されない。
――私はもう、二人のそばに、いてはいけない。