『Non detto』 #5


結婚式は家族中心の小規模なものだったけれど、アルの長い昏睡と奇跡的な目覚めを知る町の人々も祝福に駆けつけ、笑顔があふれる賑やかな一日になった。

エスコートは父さんが行い、誓いの言葉とキスが交わされる。純白のウェディングドレスを纏った姉さんは、本当に綺麗で、幸せそうに微笑んでいた。

式の後の食事会。教会の前の広場で、何人かの知人に挨拶をしていると、ピオーヴァから来てくれたニンナおばあちゃんが、私に話しかけてきた。

「…トルタ」
「おばあちゃん…」

「アル、とてもいい顔をしていたね。ドレスを着た姿も、綺麗だったよ」
「本当に…クリスがいてくれてよかった」

ニンナおばあちゃんはほとんど目が見えない。でも時には、それを感じさせないほど、周りの様子をよく見ている。

「うん、とっても…綺麗だった」

私も、微笑んで同意した。
姉さんのあんな幸せな姿が見られるなんて、一年前は…想像すらできなかったのだから。

「トルタは…ピオーヴァには戻ってこないのかい?」
「もし戻ってくるなら、また一緒に暮らしたいと思っているんだよ」
「………」

おばあちゃんの誘いに、私は言葉を詰まらせた。

ピオーヴァ音楽院を卒業した私のもとには、恩師からの講師の誘いも届いている。
一年近く音楽界から離れていたものの、プロの楽団のオーディションを受けて、歌手として舞台に立つ道も、決して不可能な夢ではない。

それでも。

「…ごめんねおばあちゃん。私、まだピオーヴァには戻れない」

あそこに戻れば、私はきっと、あの三年間に縛られたままになる。アルの名を使い自分を偽って、クリスの側にいた過去に。
それは後ろ向きな決意だと分かっていた。それでも、私はピオーヴァには戻らないと、心の中で決めていた。

「そうかい…少し残念だけど、お前の決めたことなら、反対はしないさ」

おばあちゃんはまるで私の答えが分かっていたかのように、優しい声で微笑んだ。

「でも一つだけ言っておくよ。どこで生きていくにしても、お前は一人じゃない」
「アルもクリスも、私も…みんなお前の幸せを願っている。それだけは忘れないでおくれ」

その言葉に、胸が熱くなった。

あの三年、私がどれだけ迷っても、何も言わずにそばで支えてくれたおばあちゃん。それにどれほど救われていたのかを、今さら思い知らされた。

「おばあちゃん…ありがとう」

私は、心からの感謝を伝えた。


ニンナおばあちゃんとの会話を終えた私は、心の中であることを考えていた。故郷に残るでもなく、ピオーヴァに戻るでもなく…そのどちらとも違う道が、もしかしたらあるのかもしれない、と。

余興の時間、クリスがフォルテールを組み立て、その周囲に皆が集まった。合図を受けて、私も隣に立つ。

「トルタ、準備はいい?」
「…うん。いつでも」

軽やかで穏やかなメロディ。音楽教室に通っていた頃、クリスと一緒に練習をしていた、思い出の歌だ。フォルテールの音に私の声が重なり、あの頃の空気が少しだけ戻ってくるようだった。

歌い終えると、会場は温かい拍手に包まれた。
クリスと顔を見合わせて微笑む。

「アル、クリス。二人とも、結婚おめでとう」

皆の前で一歩前に出て、二人に向けて声を届けた。

「アルとはずっと一緒で、クリスも小さい頃から一緒にいたから…二人がどれだけお互いを大切にしてるか、私もよく知ってる」
「だから…これからは、自分たちの幸せを一番に考えてほしいな」

そう言って、私は二人に微笑みかけた。

「二人なら、きっと素敵な家庭を築ける。そんな二人のことが、私は本当に大好きだよ」

言い終えた瞬間、胸の奥で小さく波が立った。けれど声も笑顔も崩れなかったから、誰にも気づかれはしないだろう。アリエッタは涙ぐみ、クリスは穏やかな笑顔で頷いた。
その二人の姿に、私の胸は確かに満たされていた。


 

結婚式から数ヶ月が過ぎたある日の午後、アリエッタが私に会いに来た。

「ねえ、トルタ。ちょっと二人で話さない?」

少し上ずった、弾むような声。何かいいことがあったのだとすぐに分かった。
居間のソファで、二人で向かい合って座る。少し雑談を交えた後、姉さんは静かに切り出した。

「トルタ…私ね、赤ちゃんができたの」

その言葉に、私はただただ驚いて、持っていたカップを両手で包み込んだ。
姉さんの頬はほんのり赤く、幸せを隠しきれない表情をしていた。

――クリスと、姉さんの子供。

それを聞いた瞬間、胸の奥が熱くなるのを感じたけれど、同時に小さな痛みも走った。
その痛みの正体を、私はもう理解していた。

「おめでとう…アル…!」

そっと姉さんの手を握る。その手の温もりとともに、私はずっと迷っていたあることを、心の中で静かに決意していた。

 


 

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