『Non detto』 #10


耳をつんざく轟音。
土砂降りの雨よりも大きな水の音に包まれ、世界の輪郭がぼやけていく。
少しずつ濡れていく体。
でも、冷たいはずなのに、不思議と不快感はなかった。

「……ずいぶん、遠くまで来ちゃったな…」

私は、目の前に広がる巨大な水の壁を見上げた。

汽車を乗り継ぎ、たどり着いた港町で、私は船に乗り込んだ。
雑用のほかに歌を歌うという条件で、私を受け入れてくれたのは、この国へと向かう貨物船だった。
貨物船の甲板に立つと、潮の匂いが服に染みついた。

それからバスに乗り、辿り着いたのが、故郷から遠く離れたこの大きな滝。
ここからでは、もう故郷の空すら、遠い彼方にある。

しばらくは、貯めたお金で安宿を借り、生活していくことはできるだろう。でも、いつまでもお金がもつわけじゃない。
私にあるのは、この歌だけ。これからは本当の意味で、歌を歌って生きていかなければならない。
それが、私の選んだ旅のあり方だった。

とはいえ、この滝の近くで歌って稼ぐのは、さすがに無理がある。しばらくしたら近隣の大きな街に向かうことになるだろう。

クリスたちに連絡を取ることはしないと決めていた。
でも、せめて最低限、私が旅を続けていることだけは伝えたかった。
そう思って買った、真っ白なはがき。何を書くべきか迷った末に、画材屋で絵の具と筆を買っていた。

伝えるのは、言葉じゃなくていい。
私が目で見て、心を動かされた風景を、二人に伝えたかった。

絵を描くことは嫌いじゃなかったけれど、最初は何度も失敗した。納得できる一枚が描けるまで、十日以上を過ごした。

ようやく描けた手作りの絵はがきを郵便局の窓口に渡し、次の街へ向かった。


 

――それから私は、歌を歌った。

高い建物が立ち並び、多くの声が響く街。
誰もが忙しなく行き交う石畳の上で、私は初めて自分の歌を歌った。
観客は、ただの通行人。
それでも、一人の老婦人が私の歌を聞き、お金を投げてくれた時、
初めてこの旅が間違っていないと確信した。

広大な平野を横断するバスに乗った。
窓の外に広がるのは、故郷の山々とはまるで違う、地平線まで続く景色。この世界の広さと、自分の小ささを知った。

再び船で向かったのは、太陽の光が降り注ぐ南の国。
ギターの情熱的な旋律に、私の歌声を完全に重ねることは難しかったけれど、それでも、その街のギターの音に私の歌を少しずつ重ねて、静かに燃えるような歌を奏でた。

次に訪れたのは、芸術家たちが集まる古い街。
ピオーヴァ音楽院の卒業生という肩書のおかげで、レストランでの歌唱や、臨時の講師の仕事なども見つけることができた。

ある冬の日、湖のほとりで、私は足を止めた。
澄んだ湖面に映る雪山の姿に心を奪われ、何通目かになる二人へのはがきには、その景色を描いて送った。

 


 

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