キャラクター考察<Ⅳ>

※注意:この先の文章はシンフォニック=レインの物語の重大なネタバレを含みます。
全エンディングをクリアしてから、お読み頂けるようお願いします。


♭クリス・ヴェルティン

クリス・ヴェルティン

『シンフォニック=レイン』という物語の主人公であり
『シンフォニック=レイン』という楽曲の奏者の一人

彼は一体どういう人物であったのか、それを知るには、今までの登場人物とは異なる視点で見なければなりません。

彼の望んだものは何だったのか。
彼の得たもの。そして彼に降る雨とは、彼の犯した罪とは何だったのか。
それを決めるのは、他の誰でもなくクリス自身。

すなわち、この「シンフォニック=レイン」という曲を奏でる、あなた自身です。

才能を持つ者しか音を出すことができない、魔導楽器フォルテール。
それを奏でることができたクリスは、幼くして楽士として、演奏家としての将来を見込まれていました。

故郷の小さな町で幼なじみのトルタとアル、双子である彼女たちと共に過ごした月日。
それはクリスを心優しい、そして少しマイページな青年へと育て上げました。

そしていつしか、彼は双子のうちの1人を選び、彼女と恋人同士になりました。
歌も、楽器演奏の才能にも恵まれなかった。双子の姉、アリエッタという少女と。

街の小さな音楽学校を卒業した彼は、歌の才能に恵まれた双子の妹トルティニタと共に、列車で1日以上という遠く離れた大都市「ピオーヴァ」にある音楽学校へ進学することになりました。

恋人のアリエッタを故郷に残し、ピオーヴァでの一人暮らしを始めたクリス。
そこでクリスは、一人の妖精と出会います。

街の一角にある祖母の家に住み込みで暮らし始めた幼なじみのトルティニタ。
通い始めたピオーヴァ音楽学院で知り合った一握りの友人や講師。
そして彼の同居人となった音の妖精フォーニと共に、彼はピオーヴァで学院生活を過ごします。

3年近くの時が流れ、もうあと数ヶ月で卒業演奏の試験が始まります。
卒業演奏のための曲を作ると同時に、発表会を共にするパートナーを決めなくてはならない時期が近づいていたのです…。

●クリスにとっての光
クリスにとっての光は、彼の目的は何だったのか。

物語の始まりにおいて、それは『ピオーヴァ音楽学院を卒業すること』。その為の『卒業演奏のための楽曲を完成させること』と『卒業演奏のパートナーを見つけること』

学院の卒業演奏で良い評価を得られれば、プロの楽士としての道が開かれる。
すなわち『プロのフォルテニストになる』 という考えもクリスの頭の中には存在したでしょうが、クリスはそこまで『プロになること』 自体には執着を見せませんでした。

フォルテールを弾けると言っても、そこまで真面目でない自分の実力は平均以下。
せめて卒業演奏でそれなりの結果を残せたら、それを期に故郷に帰ろう。その経歴があれば、とりあえずその後の職には困らないだろう、と。
そんな漠然とした思いを持っていたクリス。

しかしクリスは、卒業演奏のパートナーとなりうる幾人かの少女と出会います。
リセ、ファルそしてトルタ。そんな彼女たちと音を合わせ接していくうち、彼の目的。望むものは少しずつ、しかし確実に変わっていきました。

クリスがそれぞれのシナリオで何を望んだかについては、改めて詳しく説明する必要はないと思います。
彼はリセ・ファル・トルタ、そしてフォーニと共にあることを望み。彼女のために曲を奏でます。

●クリスに降る雨
クリスに降る雨、彼を取り巻く悩みや苦しみは何だったのでしょうか。

物語の始まりの時点において恐らくクリスという登場人物は、主要人物の中で最も”それ”を持たない人物でありました。

パートナー探しや曲作りを含めた「無事に卒業できるかという不安」。しいて言うならその程度のものであり、少なくとも自分自身についての悩みは、他の学院生と同じく未来への平凡な不安という程度のものでしかなかったのです。

リセ・ファル・トルタ・al fineシナリオにおいては、その後、パートナーとなる少女たちとの出会いと交流を深めていく内。パートナーへの愛情と恋人であるアリエッタへの愛情を天秤に掛け、どちらを選ぶべきかという悩みが彼に生まれました。

葛藤の末、彼はアリエッタとの別れを受け入れることになります。

後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、彼はパートナーへの想いを強くさせていき、その悩みは、彼女たちが抱える問題や抱く夢。その思いの力になることへと向けられることになります。

●もう一つの雨
クリスに降る雨。それは各人が抱える悩みや問題を指す抽象的な概念だけでなく、実際に彼に降り注ぐ『雨』についても注目する必要があります。
ピオーヴァに来て以来、振り続ける『幻想の雨』
『雨の幻覚』と『雨の幻聴』

彼がなぜ雨の幻覚を見るようになってしまったのか。
それを知る鍵はal fineシナリオ、フォーニシナリオ、及び短編集で得ることができます。

3年前、ピオーヴァに来る直前アリエッタと共に巻き込まれた事故。
それは物理的な衝撃だけではなく『目の前で起きた恋人の悲惨な出来事』という強い精神的負荷を彼にもたらしました。
宙を舞い、地面に倒れ落ちるアリエッタ。いくら名前を呼んでも返事がありません。
アルに縋る彼の頭には酷い雨音。ノイズが鳴り響いていました。

数日後に目を覚ました彼は、そのノイズと共に彼女の、アリエッタの事故に関する記憶を失ってしまっていました。あまりにも強すぎる精神的負荷が、彼を守るために無意識に記憶を封じていたのです。

彼の音楽家としての未来を案じ、事故のことを伏せてピオーヴァへと送り出した彼の家族。
そしてそんな彼を見守り、嘘をつき続けることで支えることを決意したトルティニタ。
ピオーヴァへと続く長いトンネルを抜けると、そこには抜けるような青空が広がっていました。
しかし、クリスは言います「雨が…降っているんだね」と。

ピオーヴァはかつて、一年を通して雨が振り続ける雨の街と呼ばれていました。しかしそれは昔の、それも限られた時期だけのこと。雨の街ピオーヴァは、今では古いお話の中でのみ存在するものでした。

いつかどこかの伝聞で知った、雨の街ピオーヴァに関する知識。その記憶が彼の奥底に封じられた悲しみと混ざり合い、彼にのみ見える雨としてピオーヴァにいる限り、彼の元に降り続けることとなったのです。

クリスに降る幻想の雨は、それぞれのシナリオの各々のシーンにおいてその強弱を変えます。その描写から、幻想の雨は彼の心境によって強弱を変化させるものであるということが見て取れます。

クリスに降る雨。それはクリスの後悔か、罪の意識か、或いは現実を。事故の記憶を思い出すことへの拒絶からくるものだったのか。
様々な憶測ができますが、最も素直に考えるなら、
それは『悲しみの雨』だったのだと思います。

本人が意識しているか否かに関わらず、彼が苦悩し、悲しむべき局面に立ち会った場面においてその雨は強さを増し、逆に彼がある種の楽しみや幸福感、問題の解決に至った時にはそれを弱めます。

しかし各々のシナリオ内、結末へと至る前において、
雨は弱まることはあっても、決してその雲の上の青空を見せることはありませんでした。
その雨の根源、悲しみの根源である『アリエッタの事故』の記憶を、自らの心の奥に封じたまま。

●雨の止む条件
さて、この幻想の雨が降り止む条件ですが、これは劇中で知れる限り2通りの方法があります。
1つは「雨の街ピオーヴァを離れること」
ピオーヴァに振り続ける雨は、クリスの深層心理にて混濁した記憶と悲しみが見せるノイズ、幻覚です。
よって「雨の降る街」さえ離れれば、雨の幻覚は消えるということがal fineシナリオで語られます。

もう1つは、「雨など降っていない」という現実を受け入れること。
実際にその現実を受け入れるためには、クリス自身がその悲しみを受け入れ乗り越える必要がありますが、第三者が直接それを伝えることでも、彼はその雨の幻覚を、少なくとも「幻覚である」と認識することはできたはずです。

なぜトルタ、そしてアルはそれをしなかったのか。なぜ彼の雨の幻覚を肯定し続けたのか。それについてもal fineシナリオでトルタ自身から語られています。
一つの側面から言えばそれは「クリスが記憶を思い出すことに繋がる危険があるから」でしょう。

幻覚を見るという精神的に不安定な状態の彼の身を、トルタとアルは案じていました。
そんな彼がアルの事故のことを思い出してしまえば、彼の心は壊れてしまうかもしれない。
例えそうでなくとも、彼がアルの看病をするために故郷に残るという選択を取ってしまったら、彼の将来、未来を得る大切な機会を失ってしまう。
それを彼の家族も、トルタも、アリエッタも望んではいなかったのです。

またこれもトルタ自身が語ったことですが、雨の幻覚を見続けさせることで彼の行動を制限し、学院生活を見守る上で利点になるという側面もありました。

alfineシナリオの最終盤において、トルタは彼に雨が幻想であったことを伝えます。
それはクリスが本当の自分、トルティニタを選び、彼が真実を目のあたりにしても大丈夫だと、何があってもクリスの側にいて支え続けるとトルタが決意した故のことでしょう。

リセシナリオではクリス達は最終的にピオーヴァを離れるため、雨の幻想を知ったかどうかの描写はなされていません。
ファルシナリオでは卒業後一度故郷へ戻ったクリスが、もう一度ピオーヴァに戻り生活している様が描かれています。『土砂降りの雨の降る』 ピオーヴァの街に…。

この雨を彼自身で克服できる未来があるとしたら。
それはalfineシナリオ後かフォーニシナリオ後のどちらかでしょう。
真実を知ってなお、空の下で未来へと歩き出したalfineEND。
全てを思い出し、青空の下へと戻ったフォーニEND。
そのどちらかのクリスならば、きっともう、ピオーヴァの街には青空が広がって見えるはずです。

●クリスの青空
クリスの青空、クリスを待つ未来とはなにか。

「ifの青空を持たないアリエッタ」とは対照的に、クリスの未来は「全てがifの青空である」と言えます。

クリス、すなわちこのゲームをプレイする”あなた”の選択によって彼の辿り着く未来は、様々に変わりゆくのです。

彼がどのような未来を得るのか、また、どの未来が正しく真実であるのかについては、私の意見は以前の考察で書いたように以下の通りです。

その全てが正しく、ありえた物語の結末であり、真実の未来である

では、それぞれの結末のあとにクリスを待つ未来はどういったものでしょうか?
本編にて語られていないことである以上、どうあってもそれは想像の域を出ません。
しかしそれぞれのENDの描写と、いくつかの短編集の描写を元に推測することはできます。

♭リセと共に歩む未来
リセ、リセルシアシナリオEND後のクリスは、傷ついた彼女の傍らに寄り添い、その傷が癒えるまで。そして傷が癒えた後もずっと、彼女と共に生きていくでしょう。

歌を失ったリセルシア、その歌声が未来に戻ってくるかどうかは未知数です。短編集の後日談を読む限り、それは未来においても難しいことであると伺える描写があります。

ただ、彼女にはクリスと同じくフォルテールを弾く才と力があります。
小さな町で2人寄り添い、穏やかな生活を送るという未来以外に、もしかしたらクリスとリセのどちらか、あるいは両方共にフォルテール奏者としての道を歩む未来もありえるのかもしれません。

或いはクリスとリセがグラーヴェの許しを得ることができ、またクリス自身もグラーヴェを許すことができるのならば。クリスとリセはグラーヴェと和解し、お互いを支え合える関係になれるかもしれません。

リセEND後のクリスがアリエッタの死を知るかどうか、それを受け入れられるかどうかも未知数です。故郷の町に住み続けるのであれば、いずれそれはクリスの知る所になると思います。
もし知ったとしても、傍らにリセがいる限りクリスは、その悲しみを、いつかは乗り越えることができると信じています。

♭ファルと共に歩む未来
ファルEND後のクリスは、アルの死という現実を目の当たりにします。
そしてファルと共に”雨の街”ピオーヴァに戻り、彼女の望むがままにフォルテールを弾き続けます。
夢を叶えるために歩み続けるファルのために、その片翼となって、彼女の永遠のパートナーとなって、フォルテールを奏で続けるのでしょう。

その後の未来は、プロとして、そしてそのプロの中でも一番の歌手となるであろうファルと共に
類まれなる才能と実力を持つ一流のフォルテニストとして名を馳せることになるのでしょう。
そしてファルが輝ける歌姫としての生涯、その人生を全うする時まで。その傍らに居続けるのだと思います。

♭トルタと共に歩む未来
al fineEND後のクリスは、トルタと共に故郷の町で生活しているという描写が短編「ToCoda」の後日談から得ることができます。
クリスもトルタも、ピオーヴァにおけるプロの歌手・演奏家になる道を歩まず、故郷の小さな町で、アルへのレクイエムを奏でながら、穏やかな、しかし確かな幸せを感じることのできる一生を送るのだと推測します。

♭アルと共に歩む未来
フォーニEND後のクリスがどのような未来を得るかについては、そのシナリオの最後のシーンにおいて、実際に見ることができます。

長いリハビリを終え回復したアリエッタと共に、クリスは故郷の町で小さな音楽学校を開きます。
そしてその学校の最初の生徒こそ、クリスの最愛の人であり生涯の伴侶となる女性、アリエッタでした。

クリスに訪れる未来、その全てで1つだけ共通するものがあるとするなら、
たとえ何があろうとも、クリスは自分の選んだ最愛の人と共に、生きて行くことだと私は思います。

●クリスの内面
物語の主人公であり、プレイヤー自身が言動の選択を行う「クリス」という人物について、その内面を考察するというのは難しいことであると感じます。

クリスについての客観的な視点、al fineシナリオにおいて主人公である「トルタ」から見た彼の姿を追うことでも、一定の情報を得ることはできるでしょう。

物静かでどこか無気力。何かに対する情熱というものを感じられず、いつも遠くを見ているような、夢を見ているような、そんな寂しげでぼんやりとした表情と仕草。
雨の幻覚を見続ける彼の、脆く危ういとも感じられる一面。

しかし、それらついて「alfine」で得られる情報はあくまで「客観的」なもの。

他のシナリオで同じように彼の真意を知ろうとするならば、どうすればいいか。それはクリス視点で進められる『それぞれのシナリオを読む』以外にはないでしょう。

リセ・ファル・トルタシナリオをクリアした後に『al fine』で語られるトルタ視点の”彼”の危うさ。
しかし、それまでの3つのシナリオで彼が何を思い、何を決断し。どのような行動を取ったのか。その心の内は『al fine』のトルタの視点では見えてこないものです。

リセ・ファル・トルタシナリオ、そして最後のシナリオであるフォーニシナリオにおいて、彼は無気力で、脆く危うい青年であったでしょうか?
たとえ物語の途中でそうであったとしても、多くの迷いと悩みの末にそれぞれの結末に辿り着いた「クリス」は、確かな意志の強さと愛情を胸に抱いていたはずです。

それこそが、本当のクリスの内面。
悲しみの雨に打たれながらも、時に優しく、時に力強く、そして真摯にパートナーのことを思いやることができる青年。
あなたの選択によって「クリス」が得た思いと言動の全てが、真の意味でのクリスの内面であるといえるでしょう。

●クリスが本当に愛した少女
クリスは本当に愛していたのは誰か、本当に願っていたことは何か。
選択式シナリオのゲームであり、全てが「ifの青空」へと繋がる主人公という立場を鑑みれば、それをここで改めて書く必要もないと思いますが。あえて書いてみます。

リセシナリオのクリスが愛したのはリセであり。
ファルシナリオのクリスが愛したのはファルであり。
トルタ(al fine)シナリオのクリスが愛したのはトルタであり。
フォーニシナリオのクリスが愛したのはアリエッタでした。

リセとファル両シナリオにおいてクリスは、恋人であったアリエッタへの想いを振りきって、リセまたはファルを愛し。傍にいることを決意します。

3年間のアリエッタを演じていたのがトルタだったとしても、彼はアルと恋仲になってからそれまでの彼女との積み重ねを全て捨て、アルと別れてでもリセ・ファルの元へと向かったのです。

クリスのトルタ、そしてアルに対する愛情が、とても大きなものであったのは確かです。しかしクリスがトルティニタへの想いを真に自覚することができるのはトルタのシナリオのみであり。同じくアリエッタへの想いを真に自覚することができるのもフォーニシナリオのみです。
リセ・ファルシナリオにおいては、クリスはアル・トルタへのそれを真に自覚することはありません。

リセ・ファルシナリオのクリスにとって、真に愛したのはリセ又はファルであって、トルティニタ・アリエッタではありません。
『物語の始まり時点においてのクリスの想い』がどうであっても、この事実は変わらないでしょう。

それぞれの最終盤において、仮にトルタやアルが全ての真実を話し、思いの丈を告白したとしても。その時点でクリスがファルやリセへの想いを捨てることは、まずありえないと思います。

少なくともリセ・ファルシナリオにて、クリスがアルよりも彼女らを選んだ時点から先において「それでもクリスが本当に愛しているのはアルorトルタである」と主張するのは、意味のないことです。

それはトルタとフォーニのシナリオにおいても同じことが言えます。
トルタシナリオ終盤では「昔からトルタのことが好きだった」「アルを選んだのは持たざる者への同情が含まれていた」といった内容の告白があります。しかし、これもまたトルタシナリオの中における自覚です。

トルタシナリオの中で語られるトルタへの想いに偽りが見受けられないように、フォーニシナリオの中で語られるアルへの想いにもまた、一点の偽りも見受けられません。

『物語の始まり時点においてのクリスの想い』が仮にアル・トルタのどちらに傾いていたとしても、トルタシナリオ・フォーニシナリオにおける終盤以降のクリスの想いは、それぞれのシナリオでトルティニタ・アリエッタに向けられた真実の愛情であることを、疑う余地はないでしょう。

●クリスの罪
ここまでやや長くクリスの想い人について書いてきましたが、選択式のマルチエンディング方式ADVをやり慣れている人にとっては『何当たり前のことを言ってるんだ』と思われているかと思います。

名作ゲームの例を挙げれば「Kanon」における、祐一の名雪とあゆに対しての想い。「Fate」における士郎のセイバー、凛、桜に対する想い。これらのシナリオを「跨いで」 祐一や士郎が「誰に対しての愛が一番で真実であるか」などを比べるのは、あまりにもナンセンスなことです。

アルとトルタについても同じです。もし比べられるとしたら、それはあくまで「物語開始時点」での想いの差でしかなく。それは本編の各シナリオ内においてクリスの選んだ少女たちへの想い、その真意を疑うような意味を持つものではありません。

それでもなお「物語開始時点での想い」を知りたいというのであれば、「トルティニタシナリオ」内で触れられていますので、それを読み解いてみましょう。そこでクリスがその答えになりうる告白をしています。

クリスの、アルとトルタに対しての思いは、少なくとも物語開始時において『限りなく同等であった』 と語られているのです。

本題に入ります。
シンフォニック=レインという物語において、クリスが犯した罪。その内容について。

まず、その『罪』は誰に対しての罪であったのか。
それは「アリエッタ」 と 「トルティニタ」に対しての罪であることに間違いありません。

それではその罪とは何だったのか。
・アリエッタの事故のことを忘れてしまったこと。
・フォーニシナリオ以外のシナリオにおいて、恋人のアリエッタではなく他の少女を選んでしまったこと。
・トルタとフォーニシナリオ以外のシナリオにおいて、トルティニタの抱える苦悩。そしてその想いに気付くことができなかったこと。

この3つは、間違いなく彼の犯した罪といえます。
しかしこれらの罪は、クリスにとって多少なり弁明の余地のある罪であるともいえます。

1つ目は、恋人の事故を目の前で見てしまったという強い精神的苦痛から発生したものであり。3つ目と同じくトルタや周囲の人間による嘘を信じ込まされ、真相を知る機会を得られなかったため、という弁明。

2つ目は、それがトルタの書いた手紙によるものとはいえ、リセ・ファルシナリオ内ではアルの方から別れを切り出したこと。フォーニであったアルもそれを認め、クリスの選択を後押ししたため、という弁明。

3つ目は、トルティニタ自身がその苦悩や思いを隠し、気づかれないように振舞っていたため、という弁明。

その全ての原因において彼は、真相を知るトルタと、アリエッタ…フォーニからも、真実を教えられず。
彼女たち自身も、クリスへの自分の想いをひた隠しにしていたという事実があります。

“仕方がなかった”と言い切れるものではないでしょうが、その罪の数々は他でもない『アル』と『トルタ』による誘導の先に起こってしまったことなのです。

それではクリスには。彼女たちの嘘によって紡がれた現実を受け入れるように導かれたクリスには、罪はなかったと言えるのでしょうか?
そこで考えなければならない事実こそ、先の項で記したこの事柄です。

【物語開始時点での、アルとトルタに対するクリスの想いが、限りなく同等であったこと】

「アルを選んだのは持たざる者への同情が含まれていた」
トルタシナリオで語られるクリスの回想の断片。先の文ではこの告白は他のシナリオにまで影響を与えるものではないと言いましたが、その実。これは過去のクリスにおいては間違いなく真実であったのだと思います。

過去にクリスは、トルティニタとアリエッタ。その双方に好意を抱いていました。
そしてその両者に向けられた好意は、明確に比較できるほどの差があるものではありませんでした。

しかし彼はアリエッタを選びます。その想いがトルタに対するそれと近いものであったのにも関わらず。

それは”持たざる者”であったアリエッタに対しての庇護欲と幾ばくかの同情。
そして”持つ者”であったトルティニタに対しての身勝手な信頼と彼女の想いからの逃避。

彼はアルとトルタ両方に好意を抱いていながら、不誠実で偽善的ともいえる理由でアリエッタを恋人とし、トルティニタと一定の距離を取るようになったのです。

アリエッタのクリスに対する愛情。
トルティニタのクリスに対する愛情。
それは間違いなくとても強いものであり。無償の愛とも言える純粋なものでした。

しかし、クリスにそれに応えられる資格はなかった。
少なくとも、過去にアルに告白した時点においては、そうだったのだと思います。

クリスは、アルが自分のことを好きだということを知っていました。そしてトルタもまた自分のことが好きだということも、知っていたのです。

アリエッタの罪について、先のキャラクター考察でも触れましたが『クリスが自分を本当に愛しているという確信を持てなかったこと』だと結論を出しました。

フォーニシナリオ以外の全てのシナリオにおいて、その危惧は…真実だったのかもしれません。

アルは恋人としてクリスと結ばれた後も、心のどこかで思っていました。『クリスが私を選んだのは、トルタよりも私が好きだったからじゃなく。ただ、私には何もなかったから。そんな私を守るために、選んでくれたのではないか』と。

そんな不誠実な理由で、アルを恋人にしたこと。
そんな不誠実な理由で、トルタを遠ざけたこと。

それこそが、クリスの犯した罪。
シンフォニック=レインという物語のはじめから降り続ける『最初の雨』であった、と私は考えます。

その罪が故にトルティニタも、アリエッタもまた、彼を愛していながらも彼からの愛を量りかね、それが本当に自分だけに向けられた確かなものであると確信できるまで、彼を信じることができず、彼に思いを伝えることもまた、できなかったのです。

物語の開始時におけるクリスのアリエッタへの思い、トルティニタへの思い。それが同等の重さを持っていたとしても、或いはどちらかが大きかったとしても。
少なくともそれは、彼女たちのクリスに対する思いに、釣り合うものではなかった。

すなわち”真実の愛”と呼べるものではなかった。

クリスにとってのトルタシナリオとフォーニシナリオは、そんな曖昧で不鮮明だった自分の思いを、彼女達と真に正面から向き合うことによって、自分の中で本当の選択を下し、真実の愛へと昇華させる物語であったのでしょう。

 

ただ、1つだけ誤解してはいけないことがあります。

それは過去のクリスにおける、アリエッタとトルティニタに対する思い。彼がアリエッタを選んだ時から、物語の始まりに至るまでの思い。

たとえそれが同等の重さを持つものだったとしても
たとえそれが”真実の愛”と呼べるものでなかったとしても

彼はトルティニタを、そしてアリエッタを 「心から大切に思っていた」のは間違いありません。それが仮に男女間の愛と呼べるものでなかったとしても、
『愛していた』 という点だけは、間違いのない真実であったのです。

愛していたからこそ、彼は悲しみの現実から逃れるようにそれを記憶の奥底に封じ、降り止まない雨の幻覚の中に、自らを投じたのです。

『トルタはクリスを愛していたが、アルのこともまた愛していた。』
『アルはクリスを愛していたが、トルタのこともまた愛していた。』

彼女たち2人の雨の根本が上記のものであるのと同じように

『クリスはアルを愛していたが、トルタのこともまた愛していた。』

『2人の少女を愛してしまった』ことこそが
クリスの 『一番初めの罪』だったのだと思います。