※注意:この先の文章はシンフォニック=レインの物語の重大なネタバレを含みます。
全エンディングをクリアしてから、お読み頂けるようお願いします。
♭シンフォニック=レインを振り返って
「シンフォニック=レイン」という作品について、私個人の拙い感想と考察をここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
シンフォニック=レイン という作品の発表から、20年以上が経ちました。しかしこの物語の持つ魅力は、20年経った今でも全く色褪せず。今から作品を手に取り始める方々にも、この物語は心に強く刻まれるものになるだろうと確信しています。
私個人、この作品に強く心を動かされ。その後多くの作品を目にした今現在であっても、最も心を揺らされた物語であり、最も愛すべき登場人物たちが存在する物語です。
このHPはゲーム発売当初からジオシティーズのサービス終了まで開設していた『Angel trick』というHPを新しい形で復活させたものです。
元々HPを作ろうと思ったきっかけは、この作品を多くの人に知って欲しいという思い。そしてこの作品を読み解き、深く愛してほしいという思いからでした。
HPを復活させようと思い立ったのも、20周年記念として発表された『褪せぬ物語のための間奏曲』を手に取り、それを読み、再びシンフォニック=レインという物語を開いたことがきっかけです。
この作品の最大のタブーは「真実をあらかじめ知ってから始める」 こと。
20年たった今でも、これからこのゲームをやる方たちには、どうかネタバレを踏まずにプレイして欲しいという願いがあります。
真相を知ってからこの物語を始めてしまう事は、プレイした方なら誰しも忌避すべきことと感じると思います。この雨と嘘の物語の本来の魅力は、恐らく半減してしまうでしょう。
また、リセ・ファル・トルタ、いずれかのシナリオのみをプレイして終わらせてしまうことは、五重奏で奏でられる本来の楽曲を、たった一つの楽器の演奏で聞いてしまうようなものです。
そして、フォーニシナリオをクリアせず、或いは受け入れずに終わらせてしまうこと。それこそが自分が最も危惧していたことでした。
3人の少女と1人と少年。彼らが紡ぎだす楽曲はとても美しく、心に染み渡るもの。しかし、この楽曲を完成させるためには、妖精の歌が必要不可欠なのです。
すなわち「フォーニという存在」が奏でる最後の旋律が。
フォーニシナリオをクリアし終えた時にこそ、この楽曲は真に完成すると私は確信しています。
しかし、フォーニの歌。『妖精の歌』 は普通の人間には聞こえません。
彼女の歌を聞くことができるのは、彼女の存在を認めることができるのは。ただ一人、他でもないあなた。『クリス』だけなのです。
あなたがその存在を認めなければ、あるいはその声に耳を傾けなければ。その歌声は他の四重奏に交わることは決してないでしょう。
妖精『フォーニ』は、物語に登場する4人目の少女『アリエッタ』の心そのものです。しかし「シンフォニック=レイン」という交差する雨の物語において「アリエッタ」はその五重奏を奏でる一員ではありません。
それを奏でる最後の一人は『音の妖精フォーニ』なのです。
その妖精の歌声を奇異なるもの、或いは四重奏にそぐわない外れた音。一人だけ曲調が異なる、現実には存在しない、幻想の音だと。そのように感じている人の声を、かつて私は耳にしました。
それに対して、最大限の「説得」を行うこと。
「シンフォニック=レインはフォーニの歌をもって完成する五重奏である」と主張することが、私のもう一つの目的です。
ここまで読んで下さった方が、どのような結論を下すのか。
或いは、それでも「フォーニシナリオは蛇足であった」という類の意見を持つのなら、そればかりは仕方のないものです。物語の解釈は、個人個人に委ねられているのですから。
ただ、もしそうであるなら、最後にもう少しだけ考えてみて欲しいのです。フォーニの思いを。彼女が本当に、お気楽で楽天的で、自由気ままな陽気な妖精だったのかどうか。
彼女が本当に何も求めずに、全てを許すことのできた人間だったのかどうか。
3年間ずっと苦しみ、焦がれ、壊れかけた心を胸に。土砂降りの雨の中にいたのは、トルタだけではなくフォーニ…アリエッタもまた、同じだったのだと、私は思っています。
♭最後に
シンフォニック=レインという作品には、続編という形のゲームはありません。制作から20年以上たった今となっては恐らくは作られることもないでしょう。
しかし物語本編を補完するお話や、後日談という形であれば、愛蔵版以降において順次発表された多くの短編にて語られています。
特に15周年を迎えて発表された『encore』と、20周年を迎え発表された『20年後のあなたへ』の中では「シンフォニック=レイン」という雨の物語の中にいた登場人物のその後。青空のような希望に溢れる未来が描かれています。
これら短編集を合わせて「シンフォニック=レイン」という物語は真に完結したのだと私は考えております。
シナリオ考察でも書いた通り、私はこの物語に「正史」たりえる「単一の真実の結末」というものは存在しないと考えています。何故なら一つの結末のみを「真実」としてしまえば、その他の結末は全て「真実ではない」とされてしまう可能性があるからです。
シンフォニック=レインと同じような多くの選択式のADVにおいて、明確な正史を踏襲した続編がある一部の作品を除けば、それぞれの物語は、たとえ起点はひとつだとしても、結末はパラレル。その一つ一つが、一冊の物語たりえるものとして尊重されています。
それは「シンフォニック=レイン」についても、同じだと考えています。
それぞれに幸せがあるの
ココロはそこへ向かう
雨の中、嘘と悲しみの雨に打たれながらも、この物語の登場人物たちは光を求め、その心の向かうべき場所へ歩いていきました。
それぞれの未来へ
それぞれの幸せへ
願わくは 『シンフォニック=レイン』 という作品をプレイした全ての方に、この物語の全てを受け入れてほしい。この物語の隅々まで、心ゆくまで堪能してほしい。
そして出来ることなら、その雨の物語の先に、それぞれの登場人物の青空を。未来を思い描き、見つけてほしい。
そう願っています。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。