『Non detto』 #6


それからの半年間は慌ただしく過ぎていった。
新しい家族のために、両親たちは子ども用品などを二人に送り、引っ越しの準備も、少しずつ進んでいた。
日に日に大きくなっていくお腹、そしてそれ以上に美しくなっていく姉さんの顔を見るのは、幸せで誇らしかった。

「こんにちは、トルタ」
「ん、いらっしゃい。クリス」

ある日曜日、リビングで本を読んでいた私の元にクリスが訪れた。
窓から差し込む午後の柔らかな日差しが、床に長い影を落としていた。

「母さんたちは出かけているけど、なにか用事?」
「ううん、特に用事はないけど…少し時間が開いたからトルタの顔を見に来たんだ」
「私の?」
「うん。…最近忙しくて、あまり話す機会もなかったからさ」
「まぁ…別にいいけど」

私は読んでいた本を机の上に置き、クリスに向き直る。

「アルの様子はどう?」
「うん、今のところ順調だってお医者さんも言ってたよ」
「もう結構お腹も大きくなったのに、まだパン屋の仕事、頑張ってるんでしょ?」
「そうなんだよ。僕も休みを取ったら?って言ってるんだけど『腕がなまっちゃうから』って、押し切られちゃって」
「ふふ…アルらしいわね」

クリスは頭を掻きながら笑う。
姉さんと同じように、クリスの顔立ちも、以前よりずっと立派で頼りがいのある姿になったと感じる。

「…それって、外国の本…だよね?」

クリスは私の読んでいた本を見て、話を変えてきた。私は視線を落とし、机に置いた本の角を指でなぞる。

「あー、うん…そうよ」

「アルからも聞いたんだ…最近トルタ、よく外国語の本を読んでるって」
「うん……まぁね」
「音楽の…勉強?」
「それもあるわ」
「それもって…他にも理由があるの?」

私は指の動きを止め、ふっと息を吐いた。

「まあ…色々あるわよ、私にも」

クリスはそんな私を見て、何かを考えるように沈黙し、真剣な顔で話し始めた。

「トルタ…」

しばらく言葉を探すように口を閉ざし、彼はためらいながら言った。

「…今までずっと言えてなかったと思ってさ」

そう言いながら、彼は私から目を逸らし、窓の外の光に視線を向ける。

「アルが目覚めてから…ううん、それよりずっと前から。アルと僕を、支えてくれてありがとう。って」
「トルタがいなかったら、今の僕とアルは…ここにいなかったと思うから」
「だから、ありがとう。本当に…感謝してる」

彼は労るような目で、私に微笑みかけながら、言葉を続ける。

「トルタ…悩んでいることや、困ったことがあったら、なんでも僕たちに話して欲しい」
「トルタは僕にとって大切な友達で…もう、家族でもあるんだから」

その言葉を聞いて、私はあることに気づいた。

――ああ、そっか…クリスも、同じだったんだ。

クリスは鈍感そうに見えるけれど、でも、察しが悪いわけじゃない。きっと私が何を考えているのかも、気付いているのだろう。
私は視線を落とし、膝の上で両手を重ねた。

「クリス…私のことは大丈夫だから。今はアルのことを一番に考えてあげて」

私は小さく笑ってみせた。
口にしてみれば、それは自然な言葉だった。

そう告げると、クリスは一瞬何かを言いかけたが、静かに唇を結び、ただ小さく頷いて微笑んだ。
その微笑みは、私の決意を確かに受け止めてくれるように見えた。

やがて彼は椅子から腰を上げ、戸口に向かいかけて、ふと振り返る。

「そうだ、トルタ」
「ん?」
「またいつか、三人でアンサンブルしよう。今度は、アルも一緒に」
「…うん、そうね」

私は微笑んで頷いた。

扉が閉まったあと、静けさだけが部屋に残った。
窓辺の光がゆっくりと伸び、机の上の本の影を長くしていった。

 


 

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