『雨』 #1


その日は朝から雨が降っていた。

季節は初夏。私たちが住む北の街には珍しく、雨が続いていた。青い空はここ数日、数えるほどしか姿を見せない。

街にある小さな音楽学校、全校生徒は3人。
この街に住む幼馴染の男の子「クリス」と、私の双子の妹「トルティニタ」
そして私「アリエッタ」

2人の授業の終わりがけの時間を見計らい、私は教室のドアを開けた。

「今日もお疲れ様、クリス、トルタ」
ドアを開くと、クリスとトルタは教室の床に仰向けになって天井を見上げていた。でも私の姿に気づくとすぐに起き上がって椅子に座る。

「うーん、今日はたくさん歌ったから疲れちゃった」
「ふふ、そう言うだろうと思ったから」
私はバスケットいっぱいに詰まったパンを見せる。

パンを作る腕も、昔よりは少しは上達していると思う。来年になったら、私は街のパン屋さんの元で働かせてもらおうと考えていた。

いつものように三人で机を囲み、パンを食べながらの談笑になった。

「―それでね。クリスがいっつも同じところで音を外すの」
「たしかにそうだけど…トルタの歌が楽譜より少し遅いテンポだったから」
「楽譜どおりに歌ったらもっとミスするでしょ?私はクリスにあわせてあげようと思ったのよ」

冗談まじりな、他愛のない会話。私はそんな二人の話を聞くのが好きだった。

私は、今はこの音楽学校に通ってはおらず、籍を入れているだけの状態だった。
妹のトルタは元々歌が上手で、その実力は先生や街の人からも注目されている。
そしてクリスは、限られた人にしか弾くことができないという魔導楽器「フォルテール」を弾くことができた。

私たちの住むこの国では魔導演奏楽器「フォルテール」を中心とした、音楽を誇りにしている文化があった。だからと言うか、私たちは自然に音楽に興味を持ち、この学校にも三人で入学した。

だけど、私には歌の才能がなかった。

どんなに上手く歌おうとしても、音程がズレてしまう。クリスやトルタは「努力をすれば上手くなるよ」と言ってくれたけど、歌や演奏がどんどん上手くなっていく二人を見ていた私は、ある時を境に学校に通わなくなってしまった。

二人に引け目を感じて塞ぎ込んでいた時期もあったけど、クリスはそんな私を励ましてくれた。「アルにも得意なことがあるんだから」と。
その言葉をきっかけに私は料理に打ち込むようになっていた。料理は得意…と言えるほどの腕前ではないと思う。実際、今でもよくパンを焦がすことがあったから。
けれど、音楽学校の授業で疲れた二人のためにパンを作るのは楽しかったし。それを美味しいと言ってくれる二人の言葉に、私は、私の役割が得られたような気がして、嬉しかった。

「これ以上食べると晩ごはんが食べられなくなるよ」
私はそう言って、今日の放課後の座談会はお開きとなった。

雨の降りしきる中。傘をさしながら帰路に着く。

「今日は僕の家だよね」
「うん、お母さんたちにもちゃんと言ってあるよ」

私たち姉妹とクリスの家は隣り合わせで、同じ年頃の子供もいたせいか親同士も仲が良く、家族ぐるみの付き合いをしている。日曜日にはお互いの家に料理を持って集まり、一緒に食事をするような習慣があった。

「それじゃあ私、お母さんに頼まれた買い物があるから」
曲がり角で、私は二人に声をかける。

「それなら私も付き合おうか?」
「ううん、私一人で大丈夫。だから二人は先に行っていて」
「わかった、それじゃあ先に行ってるね」
そうしてトルタ達と一旦別れ、私は一人で買い物に出かけた。

お店を回りながら、私はクリスたちのことを考えていた。

クリスたちの才能はこの小さな街でも特別なものだった。
妹のトルタの歌は、姉としての贔屓目でなくても素晴らしいものだった。それは決して才能だけじゃない。トルタは昔から歌を歌うことを本当に楽しんでいたし、何事も好きなことに対して努力を惜しまなかった。

そしてクリスのフォルテール。私は昔からその音色が好きだった。技術的に未熟だった頃でも、私はその音色を聞くのが好きだったし、合わせて下手くそな歌を、歌うことも好きだった。
いつか歌が上手くなって、クリスの演奏に合わせて歌を歌えたらどんなに素敵だろう。そう思ったこともあったけれど、

結局。トルタとは違い、私に歌の才能はなかった。


next>