『空の向こうで』 #2


ステンドグラスを通し穏やかな光が差し込んでくる。
外からは、かすかに来客者たちの賑やかな話し声が聞こえてきていた。

故郷の町外れの高台にある、小さな教会。
いつもはミサの日くらいしか訪れないその教会の前に、今日はいつもより多くの人達が集まっていた。

私は、姉さんの髪を整えながら、最後にヴェールを被せる。

「うん、これでいいかな?」

「…ありがとう。トルタ」

白いウェディングドレスを着た姉さんは、椅子から立ち上がると、私の顔を見てお礼を言った。

「アル…とっても綺麗よ」

私はそんな姉さんの姿に、見とれてしまっていた。

 

クリスとアルの結婚式。

クリスがアルの元に帰り、アルが目覚めた時から、それは約束されていた未来だった。長いリハビリを終え、働き始めた2人が小さな家を手に入れ、住み始めたと教えてもらったのは、半年ほど前だろうか。

思ったより早かったのか、或いは…随分と遅くなってしまったのか。
どちらにせよ、今日この日に辿り着くまでの二人の道程は決して平坦なものではなかった、それだけは事実だった。

姉さんのドレスは決して豪華とは言えない、
比較的簡素なドレスではあったけれど。

純白に包まれた姉さんの姿は、今までに見たどんな女優や歌姫よりも美しく、
そして幸せそうだった。

「それじゃあ私は、外で少し挨拶してくるね」
「うん、いってらっしゃい」

そう言って私は控室を出た。


教会の前では私たちの父母や故郷の知り合いの他に、何人かの客人も訪れていた。
その内の数人に挨拶をして回っていると、

「トルタかい?」
そう声を掛けられて私は、椅子に座っているニンナおばあちゃんとマイヤーさんの姿を見つけた。

「おばあちゃん…来てくれたんだ」
「当たり前じゃないか。大事な孫の結婚式さ。何があったって駆けつけるよ」
ニンナおばあちゃんはそう言って微笑んだ。

「少し遅れてしまったね。着いたのは昼前だったけど…アルはもう中にいるのかい?」
「うん、今はもうドレスを着て、始まるのを待ってるよ。まだ少し時間もあるし、今から会いに行く?」
「ああ、いやいいさ。式の後のほうが気兼ねなく話す時間があるからね」
「そう、分かった」

マイヤーさんはお父さんたちと話をしているようだった。
本当は父さんたちが迎えに行く予定だったんだけど、マイヤーさんが付き添いでおばあちゃんを連れてきてくれるという話になって、その言葉に甘えさせてもらうことになったんだ。

「あとで、私もお礼を言わなきゃ…」

「トルタや…お前は随分、良い顔になったねぇ…」
お婆ちゃんは私の顔を見上げてそう言った。
目は殆ど見えないはずなのに、分かるのだろうか?
そんなふうに思った私に微笑みを向けながら、おばあちゃんは言葉を続けた。

「トルタ、私はね…お前にも幸せになって欲しいと、ずっと願っていたんだよ」
「アルがいなくなってからのお前は、随分と無理をしていたからね」
「アルが目を覚ましたと聞いて、そしてもう大丈夫だと知らされた時から、私はアルよりも、お前のことを心配していたんだよ」

「私を…?なんで?」

「アルには、クリスがいたからね。…三年もの眠りから、死の淵からさえアルを救い出したクリスがいれば、もうあの子は大丈夫だと、思っていたよ」

「でも、トルタは違う…故郷の街に帰ったお前は、もしかしたらずっと塞ぎ込んでるんじゃないかと、最初は心配したものさ」
「おばあちゃん…」
「でもね、ピオーヴァに再び戻ってきたお前の声を聞いて、気付いたんだ」
「トルタ、お前は私が思っていたよりずっと、強い子だったんだってね」

退院したアルとクリスを見届け、私は再びピオーヴァの街に戻った。
幸いにもすぐに仕事を見つけることができた私は、おばあちゃんの誘いを断り、一人暮らしを始めていた。

それからも週に一度は顔を出していたけれど、
こんなことを言われたのは今日が初めてだった。

「強い…?ううん、それは違うよ、おばあちゃん」
「私は、…ずっと弱かった。クリスとアルのことを天秤に掛けて、どっちも選べなかった」
「でも、アルが目覚めてくれて…クリスとアルは、そんな私の弱さを認めて、受け入れてくれた」

「だから私は、また前を向くことができたんだよ」

おばあちゃんは、そんな私の言葉を聞きながら、穏やかに微笑む。

「そうさね…でも、そうやって自分の弱さを受け入れて、前を向くことができるということも、私は強さだと思うんだよ」

その言葉に、私は胸に暖かいものを感じた。

「おばあちゃん…」

「なんだい?」
「今まで、ずっと私を見守ってくれて…ありがとう。一人暮らし、勝手に決めちゃって、ごめんなさい」

私は、おばあちゃんに感謝を伝えた。

ピオーヴァにいたクリスの元に姉さん…フォーニがいたように。私には、ニンナおばあちゃんがずっと近くにいてくれた。

私のやること、決断を全部知った上で、
それを肯定し見守ってくれていた。

アルがいなくなり、クリスに嘘をつき続けていた私を、きっと、私が思うよりもずっと酷い状態だった私を。おばあちゃんは何も言わずに、見守り、支え続けてくれたのだ。

離れてからようやく気付いた、自分の盲目さ。
今なら分かる。私は私が思っていたよりずっと、
多くの人たちに支えられて生きてきたんだと。

「お礼なんかいいよ。それより、そろそろかい?」
「うん…もうすぐだよ」

「後でアルともゆっくり話をしたいね。花嫁姿、きっと綺麗なんだろうねぇ」

「うん、すごくね…」

教会の鐘が鳴る。

私は、自ら進んでおばあちゃんを参列席へと導いた。


 

扉が開かれる。

参列者の数は30にも満たない。
眠り続けていた姉さんはもちろん、クリスもピオーヴァでろくに友人と言える存在を作れなかったのだから、それは仕方のないことだった。
もしかしたらアーシノはクリスが招くかもと思っていたけど、彼の姿はそこにはなかった。

代わりにクリスの受け持ちだったコーデル先生が、ピオーヴァから出向いて列席してくれていた。

数が少ないことは寂しいことじゃない。
アルとクリス。誰よりも近く、幼い頃から家族のように育った二人の門出を祝うのは、私たち家族だけであっても十分だと思えたから。
もっとも、ピオーヴァで友人を作れなかったという意味では、私もクリスのことを責められる立場ではなかったけれど。

 

「行くよ、アル」
「うん、トルタ」

私は姉さんの手を取りバージンロードをゆっくりと歩き出す。
エスコートの役目は姉さんから頼まれたことであり、私自身が望んだことでもあった。父さんたちも快くそれを認めてくれた。

歌姫として舞台に立つために奮発して買った深紅のドレスを纏い、白いウェディングドレスの姉さんと並んで歩く。
その先には、白いタキシードに身を包んだ、クリスが待っていた。

クリスはその瞳に涙をたたえていた。
その理由は、私には痛いほどに理解できた。

今日、この場所に姉さんが立っているということ。
白い花嫁衣装に身を包み、幸せそうに微笑む姉さん。

それがどれほどまで、
どれほどまでに、得難いものであったのか。

病院のベッドで、まるで眠るように横たわる姉さん。
どんなに声をかけても、どんなに手を握っても
応えてくれなかった日々。

愛し合う恋人同士が結ばれる。そんな当たり前の未来が、決して得られないものだと、諦めざるを得なかったあの頃。

けれど、そんな『得られなかった未来』を覆して、
今二人はここにいる。

アルがクリスを求め、クリスがアルを求め、
その果てに辿り着いた、今日という未来に。

私は姉さんを…アルを、クリスへと手渡した。


「アリエッタ・フィーネ」
「クリス・ヴェルティン」
神父様の声が教会に響く。

「クリス。あなたはアリエッタを妻として迎え、愛し、尊敬し、病める時も、健やかなる時も、支え合うことを誓いますか?」

「はい、誓います」

「アリエッタ、あなたはクリスを夫とし、愛し、尊敬し、喜びと悲しみを共にし、どんな時でも共に歩むことを誓いますか?」

「はい…誓います」

そうしてクリスとアルは、お互いの薬指に指輪をはめ
そして、誓いの口づけを交わした。
 
目を閉じてキスを交わす2人の目元から流れる涙は、
とても綺麗な…幸せの涙だった。
 
参列者の多く…父さんも母さんも、二人の涙に心を揺らされたかのように、同じように涙を流していた。
 
不幸な事故。三年間もの昏睡状態。
離れ離れになった恋人。
命すら失いかけた眠りから、
クリスの帰郷によって目覚めたアル。
それはまさしく、奇跡と呼ぶに相応しい出来事だ。
 
でも、私だけは知っている。
二人は離れ離れだったわけじゃない。
三年間ずっと、寄り添い合っていたんだ。
 
姉さんはずっと、ずっと…
妖精の姿になってでも、クリスの側にあり続けた。
本当の自分を忘れられて、生きることすら諦めて。
それでも…ずっと、クリスを、愛し続けていた。

――だからこれは 奇跡なんかじゃ ない。

 
「おめでとう………アル!」
「おめでとう…クリス!!」
 
他の参列者と同じように私も涙を流しながら、
私は、心の底からの祝福を、二人へ送った。
 
 
 
 

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