『Ti amo』 #3


(私、何を考えてるんだろう)
(クリスを取られるのが悔しい?)
(幸せそうな二人を見ているのが辛い?)

(…何をいまさら)

(クリスは元々、姉さんのものなのに)

 

気がつくと私は、町外れに流れる小さな川の前に立っていた。
流れのあまり速くないその水面には、はっきりと自分の姿が映る。

「…姉さん」
映ったのは、紛れも無い私の姿。

けれど、髪を下ろして服も着替えれば、恐らく自分でも分からないくらい、姉さんとそっくりの姿になるだろう。

姿かたちだけじゃない。
ピオーヴァにいた頃、私はいつも、
部屋にある鏡の前で自分に暗示をかけていた。

今だって、少しの時間さえあれば、
仕草や口調まで姉さんになりきることだってできる。

私が三年間演じ続けていた。
クリスの望み、思い描いた『アリエッタ』の姿に。

――でも、そんなことはもう何の意味も持たない。

姉さんは目を覚まして、クリスの傍にいられる。
だからアルの偽物はもういらない。
そして、偽物でない私は『トルティニタ』でしかない。

(…私じゃダメなんだ)

でも、少なくとも三年間、クリスの傍にいたのは、
クリスの一番近くにいたのは、他ならぬ私だった。

(…どうして私じゃダメなんだろう?)

ずっと押し込めていた思い。
クリスがアルを選んだ時から、
ずっと胸の中に残っていた、小さなトゲ。
分からないから、目を背けていたものが、
今更になって、私を苛んでいた。

心の中でそんな問いを繰り返す。
答えなんて、返ってくる筈もないことを知りながら…


 

少しだけ、水面が揺れた。
誰かの気配に気がついて、後ろを振り向く。

そこに立っていたのは、
白い病服の上に簡単な上着を羽織っただけの、姉さんだった。

「トルタ…やっぱり、ここにいたんだね」
「………姉さん?」
「ここに来れば、トルタに会えると思ったんだ」

「どうして…、どうしてこんな所にいるの?まだ一人で出歩いちゃいけないって、言われているはずでしょ?」

強い調子で問い詰める私を、穏やかな表情で見つめる姉さん。

「…この辺り、小さい頃は、よく遊びに来たよね?」
そして、まるで遠い昔を懐かしむかのように…そう呟いた。

「……そう、だったっけ?…あんまり覚えてないけど…」
私はそんなアルから少し目をそむけ、ぼんやりと景色を見渡す。

嘘だ。

私は、今でもはっきりと思い出せる。

町の音楽教室に通うようになってからは、
ほとんど来ることはなくなってしまったけれど。
小さい頃は、よく三人でこの川辺で遊んでいた。
三人だけの、秘密の遊び場。

流れの強くない浅い川だから、
泳ぎの得意な私は、遅くなるまで泳いで遊んでいて、
その後にお父さんやお母さんに怒られたこともあったっけ。

そんな光景を、今でも鮮明に覚えてる。

――そう、そして。
――私がクリスを好きになったのも…その頃だった。

 

「アル…どうしてここに来たの?」
私はアルを正面から見据え、そう尋ねた。
それは、さっきと同じような問いかけであり、
全く違う『拒絶』の言葉でもあった。

「アルのことだから、許可は取ってあるのかも知れないけど、…クリスが心配してるよ。すぐに病院に戻らなきゃ」
「それに、私のことを心配してくれたのなら…大丈夫よ。私はただ外の空気を吸いに来ただけだから」

下手な嘘。

それでも姉さんに余計な心配を掛けたくなかったし。
今のこんな私の姿を…見られたくもなかった。

それなのに…

「…ごめんなさい」
アルは悲しそうな顔で、そんな言葉を口にした。

(…ああ、もう)

「どうして謝るのっ!!」

――叫んだ。

アルが悲しい顔をしていることも。
私に謝るなんてことも。

私の嘘なんか、全部分かってるってことも。

――その全てが、気に入らなかった。

アルは何も悪いことをしてないし、私に謝る必要もない。
謝らなければならないとしたら、それは姉さんじゃなく…私のほうだ。

それにしたって、今の私にはできないこと。
ただ、アルとクリスが幸せになってくれればいい。
それだけで十分なんだ。

それに、いくら謝られたって、
もう…何も変わるものは無いのだから…。

「…」

今までに、アルは何度も私にそうやって謝ってきた、
クリスが部屋を離れて、二人きりになるといつも。

私はそんなアルに「謝らなくていい」と何度言っただろう。それでもアルは、まるで償いきれない罪を背負っているように、何度でも私に謝ってきたんだ。

 

――だから、決心した。

それでもアルが謝ると言うのなら、
それでもアルが私に、負い目を感じているというのであれば。

その思いを、私のために使ってもらおう、と。

「……そう、アルも知ってたんだね」

――この心を消し去ってしまうために、
――姉さんの罪悪感を利用する。

「そうよ…私ね」

『私ね…クリスのことが好き』

そう、アルに言い放った。

「アルが事故に遭う前…クリスがアルのことを好きになる、ずっと前から」
「私は、クリスのことが好きだったんだよ」

「ピオーヴァにいた三年間も、この町に帰ってきてからだって…」
「…今だって思ってる。クリスを…誰にも渡したくないって」

その言葉を、アルは少し寂しそうな顔をしながら聞いていた。

「…アルは、どうなの?」
「クリスのことが好き?ねえ…どうなの?」

――そして言葉の最後に、私はアルに問いかける。

『クリスのことを愛してる…?』

『この…私より?』


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