我ながら、なんて残酷な質問だろう。
これでアルは、クリスのことを愛していると答える。
それは、姉さんが私の想いを踏みにじる答えにほかならない。
でも、そんなことは知らない。
ただ一度だけ、はっきりと言ってくれればいい。
『クリスは誰にも渡さない』
『クリスは私だけのものだ』
って。
そうすれば、私の中のこの思いは消えてくれる。
どうすることもできないこの感情を…振り払うことができると。そんなふうに思っていた。
――それなのに。
「駄目…だよ」
「…え?」
「それじゃあ駄目だよ…トルタ」
凍える様な声、悲しそうな顔をしながら。
それでも、アルは私をまっすぐに見つめて。
「その言葉は…ちゃんとクリスに伝えないと……いけないと思う」
――そんな言葉を口にした。
「…………どういうこと?」
…驚いた。
まさか、アルにそんなことを言われるなんて、考えてなかった。
「…そんなことをして、何になるって言うの?」
怒りが込み上げてくるのが分かる。
だって、いくらなんでも…それはあんまりだ。
「そんなこと…言えるわけないじゃない!!」
私はアルを怒鳴りつけた。
元々仲のよい姉妹だった上、おとなしい性格のアルだ。私がこんな風にアルを怒鳴ったのは、生まれて初めてかもしれない。
「クリスの気持ちが、今更変わるわけがないなんてこと…アルが一番分かってるでしょう!?」
けれど、この気持ちだけは収まりがつかなかった。
「酷いよ…姉さん。そんなの…そんなこと…ッ!!」
理性のブレーキが利かなくなった私に、アルは怯えるように身を固め、無言でそれを受け止めていた。
一通り思いを吐き出すと、私はアルを睨みつけた。
「…トルタ、お願い…クリスの所に行こう?」
それでもアルは、言葉を変えようとしなかった。
「……っ!」
もう一度怒鳴りつけようとして、
私はそれを躊躇った。
「…………どうして…っ」
姉さんの瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。
「どうして、姉さん…?」
どうしてアルが泣いているのか、
その理由が、私には分からなかった。
胸に両手を押さえつけ、搾り出すように言葉を続けるアル。
「……だって」
「だって…それはトルタの…」
「トルタの、大切な気持ちだから…」
「………!」
「大切な気持ちだから…伝えたい人に…伝えないといけないと思うから…」
「トルタが…苦しい思いをするのは…もう、嫌だから…だから……!」
とめどなく涙を流し、必死で嗚咽を抑えながら、
アルは、まるで小さい子供のように泣いていた。
その涙を見て、私は一気に怒りから覚めていた。
「………姉さん」
(……なんて、ことだろう)
(姉さんは、本当に私のことだけを思って、その言葉を紡いでいる)
(…本当に、私のためだけに…涙を流しているんだ)
こういう時の姉さんは、本当に手がつけられない。
馬鹿みたいに強情で…それでいて馬鹿みたいに純粋に。
まるで自分の悲しみかのように、誰かの悲しみのために涙を流す。
―――でも、それこそが…姉さんと私との違い。
その愚かさこそが、クリスの愛したアルであり、
…私の親愛する姉さんの姿でもあった。
「……」
それでも。
本当に私のためだけを思って言った、その言葉が、
結果として私を苦しめているってことに、姉さんは気付いてない。
それとも、それすら分かっていて、
そのために涙を流しているのだろうか。
『…アルは、何も知らないのよ』
『何も知らないから、そんな風に思えるのよ…』
そんな姉さんをなだめるように、
諭すように…私はゆっくりと話しかける。
半分は。
そして残りの半分は、
自分自身に言い聞かせるように。
「私はね…ずっと騙してきたんだよ、アルや、クリスを」
「私はアルの振りをして、三年間ずっとクリスに手紙を書いてた」
眠っていたアルは、何も知らない。
三年間の私のことや、クリスのことだって。
アルのいなかった三年間に、
私が何を考え、そして何をしていたのか。
「クリスが記憶を無くしてしまったことをいいことに、アルの事故のことを、ずっとクリスに隠してた」
「もし自分が逆の立場だったら…クリスに忘れられるなんてこと。考えただけでも、怖くて、どうしようもなくなるってことも分かってて」
だからこれは、自分自身の罪への戒めであり。
…何も知らない姉さんへのあてつけでもあった。
「アルに成りすまして、クリスとデートをしたこともあるんだよ?」
「…私がどうしてそんなことをしたのか、分かる?」
――クリスのため?姉さんのため?
――そんなのは嘘だ。
クリスに真実を教えなかったのも。
姉さんに成りすまして、手紙を書いていたのも。
料理の練習までして、姉さんの振りをしていたのも。
――全部、自分のため。
あの時、もしクリスが事故の記憶を失わなかったら、
もし、クリスにアルの真実を教えていたのなら。
クリスはきっと、自分の将来を犠牲にしてでも、
アルの元に残ることを選んだと思う。
そして私はその3年間、クリスの側にいることはできなかったのだ。
『クリスの未来のためだから』
『アルもきっとそれを望んでいるから』
そんなふうに決めつけて、そんなふうに思い込んで。
クリスに嘘をつくことで、私はクリスを私の側に置いたのだ。
それから3年間、ずっとクリスを騙し続けていたのは、
クリスに事故の記憶を思い出させたくなかったから。
クリスがアルの元に帰ってしまうのを、私が恐れ続けていたから。
もしも、クリスがアルのことを思い出さなかったら。
もしも、クリスが私を卒業演奏のパートナーとして選んでくれたのなら。
クリスの側に居続けた私に、
クリスは振り向いてくれたかもしれない。
クリスは私を、好きになってくれたのかもしれない。
そんな愚かな想像を、一度でもしたことがなかったと
私は言い切ることができるだろうか?
言えるはずがない。
そうだ、私はただ、クリスを手に入れるだけのために
姉さんの幻を利用していたんだ。
私の演じていた《アリエッタ》(姉さん)よりも、
《トルティニタ》(私)を選んでくれることを
心の中で、期待しながら。
それが私の、偽りじゃない『本当』の思い。
「クリスにどこまで聴いてるのか分からないけど…手紙のことや、ナターレのことは知っていると思うの」
「たぶんアルは…こう思っているんでしょう?」
『トルタが今までしてきたことは、クリスや私を思っての行為だった』
『トルタは三年間ずっとクリスや私のために、辛い思いをしてきたんだ。って』
「でもね…それは違うの、アル」
この先を言ってしまえば、私は全てを失ってしまうかもしれない。
それでも私は、その言葉を止めることはできなかった。
「私は…私のために、アルの代わりを演じていたのよ」
「嘘を吐くことも、手紙も…変装も…何もかも、全部!」
「全部…!私が…私が……クリスを、姉さんから奪おうとして…してきたことなの!!」